今日のカウンセリングで感じたことです。
お母さんはどこまでも子供の可能性を信じていました。
子供の姿をそのまま受け止めているお母さんは美しいです。
そこに至るまでどれだけ心の葛藤があったことでしょう。
そしてそこに生きる子供は生き生きとしています。
その子は
「僕、学校はやめたんだ。」
と言ったんです。
「学校に行けない」ではなく「やめた」という言葉を使ったことに感動しました。
学校に行かないことを自分で選択したのです。
小学校3年生で誰のせいにもしない決断にとても感動しました。
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子ども達は宝物を持って生まれてきます。その宝物は保護者の気に入る宝物ではないかもしれません。
だけれどもそれが個性です。多様性の時代、今までの当たり前を捨てて考えてみてください。
「合理的配慮」と言う言葉もピンときません。少し上から目線のように感じます。
そうではなくてそのままの子どもたちを受け入れて認めて欲しいのです。
配慮ではなく共に認め合って行くことです。
どちらが正しいとか間違ってる正義と悪ではなくね。
「〇〇ちゃんはそう思うんだね」
「僕はこう思うんだ」
「そんな考え方もあるんだね」
こんな風に笑顔で言い合えるだけでいいんです。
学級委員もいらない。
それぞれが自由に発言できる。
そんな学校になって行けたら嬉しいと心から思います。
1人の力じゃどうにもならないこともあるけれど、こうやって発信していくことで同じ思いの仲間が集まり大きな渦になっていければと思っています。
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